努力よりも期待して祈る

私は小さい頃からスポーツをたくさん経験してきました。どのスポーツの先生にも言われるのが自分に打ち勝ち努力を怠るなと言われて育ちました。自分で努力をして、自分で勝ち取った賞状を見て自分の存在価値を高めていました。だからこそ、友人に誘われて初めて教会に行きお話を聞く中で「自分の力は神様から与えられている」という言葉にはどうしても納得がいきませんでした。自分でやってきたことなのに、自分で自分を支えてきたのにどうして自分のものだと考えてはいけないんだととても反抗しました。しかし神様を信じていない自分でもわかっていたことはどれだけ努力しても精神的に弱ってしまうこともある。その弱さで自分に負けてしまって自分を責めすぎてダメになってしまうこともあるということでした。つまり自分自身の努力では限界があるということです。スポーツで良い成績を取っても、勉強で学年1位になっても、会社での仕事がうまく行っても、その「成功」をするまでに何度も負けたり泣いたりして時にはうまくいかないこともあり、精神的にダメになったこともあります。君はすごいと言われても何かが足りない感覚があってその感覚を埋めたくて必死でした。でも神様が自分に力を与えてくれていると気付いた時、私は変わりました。神様を信じてからも多くの困難や辛いことはありましたが「辛いときに祈ることができること」「神様を信じて希望を持てること」この二つが私の中に加わり、弱くなってしまう時も大丈夫神様がいるからとポジティブに生きることができています。努力で乗り越えてきた人は簡単には神様の力のおかげであると受け入れることは難しいです。でも神様の力だと気づいた方が自分はダメだと塞ぎ込むのではなく、きっと神様が力を与えてくれるから大丈夫という思考に変化します。私は25年間自分の努力だと思って生きてきましたが、神様に出会えて本当に感謝しています。

『信じたい想い』の物語